奈良公園から春日大社へ
市役所から西へ進めば平城京跡がありますし、
東へ行けば奈良公園を経て
春日大社・興福寺・東大寺へと行くことができます。
奈良公園を目指して自転車を進めることとします。
「学生の頃、自転車通学をしていた」という主人と
毎日仕事で動き回っている私
サイクリングなんて全然苦にしないよと、
快調に自転車をこいでいきましたが、
5分もこがないうちに口数が少なくなってきました。
道は奈良公園に向かってなだらかに登っています。
延々と登りが続きます。
GWのさなか観光客の数もどんどん増えて自転車も
道をふさがれて前に進めなくなってきました。
自転車に悪戦苦闘しながらも30分ほど漕いで行くとなんだか
獣臭さがただよいだし鹿の姿を見かけるようになりました。
人なれした鹿と店には鹿せんべい。
奈良公園に入ってきたようです。
休憩がてら奈良博物館にある駐輪場でお昼ご飯代わりに買った
「柿の葉寿司」をいただくことにします。
柿の葉でつつまれた押しずしのうえにサーモンやサバの
〆物が乗っています。
奈良の名物的食べ物です。
奈良博物館の庭園内にもたくさんの鹿と触れ合う
人々の姿が見られます。
「野生の鹿と人間の共存」奈良独特の文化です。
こんな文化を生んだもとにあるのはこれから行く
「春日大社」の存在です。
博物館で自転車を放棄した私達はここから徒歩で
春日大社に向かいます。
● 春日大社
春日大社は今から1300年ほど前、奈良の都
「平城京」の鎮護のためと国民の幸せを祈って、
鹿島神社より国譲りを達成された最強の武神である
「武甕槌命 たけみかづちのみこと」の神様を
神山「三蓋山」の浮雲の峰に奉還したのが始まりと
いわれています。
奉還のとき武甕槌命は白鹿にまたがり峰に立たれたとされ
三蓋山は本殿ができるまでは
鹿島・香取・枚岡の神々が鎮座される場所として
崇められ今でも禁足地として入山が厳しく制限されています。
また鹿も神鹿の化身として大切にされのんびりと生活しています。
春日大社の本殿は768年藤原永手によって今の地に造営され
新たに
「経津主命 ふつぬしのみこと」
「天児屋根命 あめのやねのみこと」
「比女神 ひめがみ」
をお迎えし四柱の神様を祀る大社となりました。
それと同時に平安時代に栄華を誇った藤原氏の神様を
祀る所でもあります。
よって春日大社の神文は下がり藤であり、境内や庭園には
たくさんの藤の花を見ることができます。
藤の見頃は4月下旬~5月中旬ごろです。
藤浪之屋(ふじなみのや)と呼ばれる部屋には
万燈籠が再現してあります。
春日大社は燈籠がたくさんあることで有名で
三千基もの燈籠があります。
これらは800年前の昔から今に至るまで
貴族・武士・庶民によって奉納されたものであります。
2月の節分と8月の14・15日これらすべてに火が入れられ
石燈籠が並ぶ二の鳥居、本社付近。釣り燈籠が並ぶ朱塗りの
回廊はまさに王朝絵巻のごとく幻想的な風情に彩られます。
普段もその雰囲気が味わえるようこの部屋が開放され燈籠に
明かりが灯されています。
樹齢800~1000年ともいわれる大杉は周囲7.94m
高さ23メートルの巨木です。
鎌倉時代の「春日権現験記」にはまだ幼木だった姿が描かれています。
その根元から斜めに直会殿の屋根を貫く横枝は
屋根に穴を開けてまで守られています。
樹木を大切にするという春日の神のご託宣によるものとされています。
本殿の真西には風宮神社(かぜのみやじんじゃ)があります。
ここには
「七種寄木(なないろのやどりぎ)」
なるものがあります。
カゴノキを母木とし、椿、南天、ニワトコ、藤、楓、桜が
着生したことでこうよばれています。
風宮神社の傍らにあることから風神の威力によっていろんな
種が運ばれてきたともいわれています。
やどりぎであることから子授けの霊木と崇められ妊婦を
守るという信仰があります。
春日大社の神文が下がり藤であることから大社には
たくさんの藤が見られるが
慶賀門内にある棚造りの藤は、近衛家から
献木されたとされ樹齢700年という老木です。
毎年5月上旬には花房が1m以上にも伸び、
地面にまで届くほどになるため
「砂ずりの藤」
と呼ばれている。
さすが世界遺産「春日大社」です。
この他にも数々の見所がいっぱいあります。
歴史ある大社を後にして次なる名所に向かう
ことにします。