多賀大社で長寿祈願
一時間余りで竹生島を巡り、帰りの船で再び長浜港に戻って来た我々が
次に向かうのは滋賀県第一の大社である多賀大社
いのちの神様として信仰され別名お多賀さんと呼ばれ親しまれている神社です。
多賀大社があるのは彦根市のお隣、犬上郡多賀町。長浜からは車で30分ほど。
琵琶湖を巡る湖岸道路を走りながら向かうことにします。
真夏に参拝に訪れる人も少なく、お昼時ですが参道のお店も空いています。
この界隈は長寿の縁起を担いでかお蕎麦とかを提供するお店が多いです。
(細く長くという意味か?)
神社の境内でも長寿そばと銘打った蕎麦屋さんがありました。
私達もその中の一軒に入り、まずは蕎麦で腹ごしらえ。
さてとお腹も膨れたので参拝に向かうことにします。
多賀大社は伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の
ふた柱を祀っています
言うなれば伊勢神宮に祀られている天照大御神(アマテラスオオミカミ)の親に当たる神様です。
さすが長寿延命の神様と言うだけあって,、末永くご飯がいっぱい食べられるように
ということでお多賀さんにはお守りとしてしゃもじ(杓子)を授ける「お多賀杓子」
という習わしがあります。
これがお玉杓子やオタマジャクシの名の由来だと言われています。
参拝を済ませたあともう一度参道に戻った我々は店から流れる昔懐かしい音楽を
聞きながらソフトクリームに舌鼓を打つのでありました。
お土産に糸切餅がほしかったのですがあまりの暑さに傷んでしまうのではと思いまたの
機会にすることにしました。
ちょっと残念
多賀大社 長寿祈願の伝承
◆ 僧侶 重源
今から800年余り前のことである。源平合戦で焼失した東大寺の再建を
後白河天皇より命ぜられた僧侶重源はその任を果たすべく奔走することとなる。
重源61歳のことであった。
東大寺の再建を祈願すべく伊勢神宮に十七日間籠って祈願する重源の夢に
伊勢神宮の主神である天照大御神があらわれ「事業成就のため寿命を
延ばしたければ多賀神に参れ」とのお告げがあった。
お告げの通り多賀に参った重源のそばに虫喰いの柏の葉が一枚落ちてきた。
その虫喰いあとは莚(むしろ)と言う字の如くあったといいます。
これを見た重源は廿(二十)延(延びる)すなわち二十年の延命と合点したのです。
神の意思を感じ、それに奮い立った重源は、それより20年再建に心血を注ぎ
見事東大寺の再建を成し遂げたのです。
大願成就のお礼に訪れた多賀大社の境内の石にこしかけた重源はそのまま静かに
息を引き取ったとのことです
重源が最後に腰掛けた石は「寿命石」として今も境内に残っています。
また多賀大社の神紋の一つである「虫くい折れ柏紋」はこの伝承に由来していると言われています
◆ 豊臣秀吉
天生16年多賀社への信仰が篤かった秀吉は病を患った母大政所の病気治癒を
祈願し「命の義 三ヶ年、ならずんば二年 げにげにならずんば三十日にても」
と書いた祈願文とともに米一万石を寄進した。
見事願いが通じ大政所は治癒し、神社はその一万石で正面の太閤橋と奥書院庭園を
構築したということである
多賀大社 名物土産
糸切餅 きめの細かいこし餡の入った細長い餅を糸で切ったもので白地に赤と青の
三本の線が入っているのが特徴です。
その由来は十三世紀におこった蒙古襲来にあると言われ、二度に渡る襲来を
神風(台風)により撃退する事が出来たのを喜んだ村人が蒙古の旗印に似せた、
赤と青の三本の線が入った餅を弓で切って神前に供えたというのが始まりとされます。
糸で餅を切るのは刃物を使わず悪霊を断ち切るということで
すなわち平和を意味しているということだそうです。