天下五剣

   2015/09/23

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ついでに「天下五剣」について少し書きます

天下五剣とは数ある日本刀の中でも選りすぐりの名刀と言われる五振りのことである

■ 国宝 三日月宗近
詳細は本文に書きました 現在東京国立博物館所蔵となっています
 
■ 国宝 童子切安綱
平安時代後期 伯耆国(今の島根県)の刀工安綱の作品
          
清和源治の嫡流である源頼光が丹波国大江山に住み着いた鬼 酒呑童子の首をこの
刀で切り落としたことから『童子切』との名の由来がある
          
江戸時代に試し斬りの達人町田長太夫が罪人六人の死体を積み重ね安綱を
振り下ろしたところ六人の屍を切断したのみならず
その刃先が土台にまで到達したとの逸話が残っている。
他にも妖刀めいた逸話がいくつか伝わっている
          
現在東京国立博物館所蔵

■ 鬼丸国綱
鎌倉時代初期 山城国の京粟田口派の刀工粟田口六兄弟の末弟国綱の作品

鬼丸という名の由来は太平記に記載がある。それによると北条時頼は毎夜夢に
出てくる小鬼に苦しめられていた。

ある夜夢の中に老翁が現れ「自分は太刀国綱である。汚れた人の手により錆びて
鞘から抜け出せない。妖怪を退治したくば早く錆を拭い去ってくれ」と訴ったえた
そうである。

すぐに国綱を手入れし火鉢の横に立てかけて置いたところ国綱が倒れ掛かり火鉢
の細工に施された首を切り落としたという。

時頼の部屋にあった火鉢の足には銀の鬼の細工がされていたのである。

その後時頼は悪夢に悩まされることはなくなり、この事件によりこの太刀を鬼丸と
名づけたとのことである

現在は皇室の御物としての所蔵である なお天下五剣のうち鬼丸国綱だけは皇室の
御物のため国宝や重文としての指定を受けていない。

御物としての性格上一般公開も限られており写真もごく少ない機会に写されたものに
限られている

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■ 国宝 大典太光世
平安時代後期 筑後の刀工典太光世の作である
          
足利将軍家の家宝であったが足利家の没落とともに流出し、豊臣秀吉の所蔵となる
その後前田利家に渡り前田家の家宝として代々受け継がれてきた

江戸千住の小塚原において行われた試し斬りにおいて御様御用首切り役
山田浅右衛門吉睦がこの大典太で試し斬りをした際、積み重ねた三人の罪人の屍の
二体の胴体を切断し三体目の背骨で止まったという逸話が残っている

現在は前田家に伝わった文化財を保存管理する「前田育徳会」が所蔵している

■ 重文 数珠丸恒次
平安時代 備中の刀工青木恒次の作とされる
          
日蓮が所持していた太刀で日蓮が甲州見延山へ入山するとき護身用として、
信者である波木井三郎実長から寄進されたものである。

贈られたとされ柄に数珠が掛かっていたところからその名前がある。

日蓮没後見延山久遠寺に保管されていたが、享保年間に行方不明となる。
しかし大正時代になって宮内省刀剣御用掛であった杉原祥造により発見されるのである。

それはある華族の競売に掛けられた物件の中から見つかったそうである。

数珠丸を見つけた杉原は私財を投じ数珠丸の海外流出を防いだということである。

杉原はこの太刀を久遠寺に返納しようとしたが話がまとまらず、杉原邸の近くに
在る本興寺(兵庫県尼崎市)に寄贈されることとなった。

現在本興寺の所蔵となっている

さすがに天下に名を馳せた名刀、いずれも様々な いわく 因縁 を持って今の世に
存在し続けているのですね

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