白い稲妻 タマモクロスの物語 6

 

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一方、タマモクロスが天皇賞秋を勝った二週間後に行われた
エリザベス女王杯(GⅠ)を勝ったミヤマポピー。

ミヤマポピーという馬はタマモクロスの半妹(父はカブラヤオー)にあたり、
あのグリーンシャトーがタマモクロスを産んだ次の年に産んだ牝馬であります。

グリーンシャトーが産んだ仔が僅か二週間の間に兄妹でGⅠ制覇の快挙を
成し遂げたのです。

牧場を手離し東京で人知れず建設作業員として働いていた錦野氏は、
いつもタマモクロスやミヤマポピーの事を気に掛けていたと言われています。

しかし一切 公の場所に姿を現すことはなくタマモクロスの優勝したレースの
表彰式でも生産者の席はいつも空席であったといいます。

しかし一度だけミヤマポピーのエリザベス女王杯の行われた京都競馬場に
密かに応援に訪れた彼の姿があったと言います。

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その後雑誌「優駿」の取材に応じた彼の言葉が最初で最後の彼の心の内を
表した言葉として記録されています。

「家族が私のわがままを許してくれたのがせめてもの救いです。
妻も母も三人の子供も私を許してくれました。
タマモクロスとミヤマポピーのおかげで家族の心がひとつになりました」

馬産の世界は冷酷非情でした。

錦野氏の相馬眼は実に的確なものであり、

シービークロス・グリーンシャトー・タマモクロスとも彼の見込んだ馬たちは
あまりあるほどの結果を出しました。

もし錦野牧場があと2~3年持ちこたえることができていたら今頃新冠の町に
名を残す名牧場となっていたことでしょう

なんとも残念なことであります。

帰る故郷を失ったタマモクロスですが、静内のアロースタッドで種牡馬入りし
その世界でも一目置かれる存在になったことは言うまでもありません。

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