白い稲妻 タマモクロスの物語 4

   2016/03/14

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そんな頃400万下の条件を低迷していたタマモクロスに一つの転機が
おとずれようとしていました。

今まで主戦を勤めてきた南井騎手の進言で芝の2200mを使って見ること
になったのです。

ダートで主に走っていたタマモクロスにとって芝は実質デビュー戦
以来となります。

しかし「タマモクロスはもう少しできるのではないか」と感じていた
南井騎手はこう思ったのである。

タマモクロスを変えるには何かのきっかけが必要だと。

このレースでタマモクロスは周りの皆んなが驚くような勝ち方をするのです。

直線一気の末脚で二着に7馬身差を付けた圧勝。

しかも走破タイム2分16秒2は、同じ日同じコースで行われた
菊花賞のトライアルレース京都新聞杯の勝ちタイムより0.1速いタイムで
あったのです。

続く藤森特別においても8馬身差の圧勝を遂げ前走がフロックでない
事を見せつけました。

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「タマモクロスは本物かもしれない」競馬関係者からもそんな声が聞こえ始め、
菊花賞も狙えるという評判も起こり始めたのです。

タマモクロスがやっと頭角をあらわし始めたそんな時、生まれ故郷の錦野牧場は
すべての整理を終え、登記が書き換えられ新冠の町から永遠に消滅したのでした。

それからのタマモクロスの活躍は目覚しいものでありました。

初の重賞挑戦になる鳴尾記念でG1馬2頭を相手に、到底末脚勝負の馬では
楽に逃げている前の馬を捉えきれないだろうと思われるスローペースな流れ。

そんなレース展開をものともせずこのレースでも他馬を差し切り

6馬身差での快勝。

走破タイム2分33秒0はコースレコード。

まさにそのパフォーマンスは一流馬のそれでありました。

調教師である小原氏も「この馬は本物だ」と認めるにいたり、競馬ファンも
「まるで白い稲妻だ」と彼を称しました。

白い稲妻それは正にタマモクロスの父であるシービークロスに例えられていた
その賛辞そのものであったのです。

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