風よりも速く サイレンススズカ 2

 

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もっとも稲原牧場の人達にとってその仔馬の毛色には多少複雑な
心境でありました。

父のサンデーは漆黒の黒鹿毛馬ですし母ワキアは鹿毛馬です。

当然どちらかの毛色をまとって生まれてくると思っていた牧場スタッフの
目の前の生まれたばかりの仔馬は明るい栗毛。

しかも生産界にまことしやかにささやかれている噂ではサンデーの仔で
走りそうなのは青鹿毛か黒鹿毛であって栗毛は走らないとされていたのです。

もちろん根拠があるわけでもなく単なる風評にすぎないのですが・・・。

そんな事情を知ってか知らずかワキアの1994(サイレンススズカ)は
小柄ながらものびやかに楽しそうに牧場を駆け回るのでした。

(サイレンススズカの毛色は母父であるミスワキの隔世遺伝と思われる)

馬主となった永井啓弐氏もスズカの競走馬としての将来性よりもむしろ
彼の楽しそうに牧場を駆け廻るそのかわいらしい姿と気品にあふれた
賢そうな顔立ちにすっかり惚れ込んでしまっていたのでした。

人懐っこく可愛さばかりがめだつ二歳馬であったスズカが一変したのは
二風谷軽種馬育成センターで競走馬としての馴知が進んだころでした。

調教が進み鞍にまたがり走らせてみると乗り味が他の馬とは一味も二味も違い、
力強くのびやかな走法は彼の競走馬としての資質が並々ならぬものである
ことがわかり始めたのでした。

やがてスズカは大きな期待のもとに橋田調教師のもとに送られ新馬戦を圧勝し、
このまま順調に勝ち上がっていくかにみえたのです。

しかし三歳11ケ月でデビューした彼は他の馬よりもずいぶん
遅れたデビューでした。

春のクラッシックシーズンまでに、タイトなスケジュールをこなさなければ
当面の目標の皐月賞の出走権を得ることはできません。

それに加えトライアルレースである弥生賞ではゲートをくぐってしまい
外枠のスタート。

しかも出遅れたスズカは才能の片りんをみせたものの8着に惨敗。

ダービーではあえて逃げの戦法を封印し、見せ場もなく9着と敗れてしまう。

こうしてスズカは豊かな才能を持ちながら生涯一度のダービーをふがいない
成績で終えることとなってしまったのでした。

この年秋の天皇賞を含め不本意な成績におわったスズカはかねて招待を
受けていた香港国際カップに出走することとなります。

海外(GⅡ)のレースなれど重賞未勝利の馬が挑戦するレースに関心を
持つファンは少なく5着という結果にも巷の関心度は低かったのです。

しかしこのレースに一つ収穫があったとすればスズカの鞍上に初めて
武豊が騎乗したことでありました。

武騎手は はじめて乗ったスズカに恐ろしいほどの才能を感じるとともに、
この馬を生かすのは、抑えて走らせるのでなく

馬の行く気にまかせて駆けさせる。

そうさせてほしいと橋田調教師に進言したのであります。

こうして重賞未勝利馬であるスズカと引手数多の天才ジョッキー武豊の
コンビが組まれることとなったのです。

橋田調教師は以前よりスズカは中距離馬(適正距離1800m~2200m)と
してみていたし、そう育ててきました。

しかし古馬(5歳以上の年齢の馬)にとってJRAの春の中距離戦の大レースは
組まれておらず、

スズカは距離適性の不利をかかえながら大レースをめざすのか、

それともレースのランクは落ちるとも自分にあったレースで結果を
残すのか選択をせまられるのでした。

橋田氏の答えは後者でありました。

その道のスペシャリストとして名を残すことを選んだのです。

1998年5歳になったスズカは生まれ変わったかのように走り始めます。

武騎手とのコンビで覚醒を始めたのです。

武騎手もスズカのその年の初戦となるバレンタインSに関西から東京に
駆けつけ騎乗しています。

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ただのオープン特別にすぎないレース。

しかし彼はサイレンススズカに騎乗するためだけにわざわざ来たのです。

このレースを皮切リに中山記念(GⅡ)・小倉大賞典(GⅢ)を連勝、

しかも小倉大賞典ではコースレコードまでたたきだす快挙。

いままで最初から最後まで全力で走っていたスズカでしたが途中で
息を入れる走法をおぼえたのです。

そしてスズカの実力をまざまざと見せつけたレースが中京競馬場で
行われた金鯱賞(GⅡ芝2000m)であります。

いつになく豪華メンバーがそろうこのレースでスズカはいつものように
先頭に立つとその差をぐんぐん広げ

最後の直線では観客席のどこからともなく拍手が沸き起こり、観客の
すべてが私利私欲を忘れて拍手でスズカを迎えたのです。

着差は大差(10馬身以上)、勝ちタイム1分57秒8は中京競馬場2000mの
コースレコードを10年ぶりに塗り替えるものでした。

重賞2連勝・大差の逃げ切り勝ち・連続のレコード勝ち、これらはスズカが

一流馬であること、

中距離の最強馬といえる位置まできていることをみとめさせるに十分な
結果でありました。

橋田調教師にはどうしても取りたいタイトルがありました。

古馬の最強馬を決めるレース天皇賞秋、距離2000mで争われる
このレースこそ中距離の名馬を決めるにふさわしい戦いであり、

充実期を向かえたスズカに取らせたいタイトルであったのです。

今年に入って本格化したスズカはここまで4連勝、
天性のスピードは輝きを増し、

スズカの逃げについてこられる馬はいませんでした。

今なら勝てると陣営は確信していました。

しかしすっかり人気馬になったスズカは秋天の前にもうひとつ
レースをこなさねばなりませんでした。

それはファンの人気投票で選ばれるいわば馬のオールスターともいえる
宝塚記念(GⅠ 距離2200m)です。

去年までのスズカであれば選ばれることもなかったレースです。

橋田氏は適正距離には少し長いこと、秋天までに疲れをとりたかったこと
などを考慮してもスズカを出走させないわけにはいきませんでした。

競馬ファンは新たなスターホースの誕生をまっているのです。

スズカはこのレースでもいつものように先頭に立ち1000mを58秒台の
ハイラップできざみ、

さすがに最後はいっぱいになりながらもステイゴールドの
強襲を3/4馬身しりぞけゴールを駆け抜けたのでした。

破った相手は

天皇賞春馬 メジロブライト

前年の年度代表馬名牝 エアグルーブ

牝馬二冠の メジロドーベル

有馬記念馬 シルクジャスティス

そうそうたる面々をくだしたスズカは自身の達悦したスピードで
距離の壁をも克服して見せたのです。

(この日先約であったエアグルーブに騎乗した武騎手もスズカが
距離の壁に自滅するよりなすすべはなかった)

名実ともにGⅠ馬となったサイレンススズカにとって
天皇賞秋にかける視界は明るいものでした。

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