トウメイ 炎の名牝 その4

   2014/10/25

スポンサーリンク

ここでトウメイの印象を綴った日刊競馬の
記者の方の記事を紹介します。
(日刊競馬 梅沢 直氏 文引用)

————————————————– 
 当時、トウメイは保田隆芳厩舎預かりで、
 保田師が事実上管理していたのである。
 
 私のうまや通いのなかで、最も記憶に残っているのは、
 トウメイの目である。

 夕方、誰もいない薄暗いうまやを覗き込んだら、
 トウメイと私の視線が合った。

 トウメイは微動だにせず私を睨み付けている。

 こちらも睨み返したのである。

 いわゆるどちらからともなく
 “ガン”を飛ばし合ったのだ。

 彼女の目は己の運命を呪うかのように
 反抗的で復讐心に燃えたすさまじいものだった。

 先に視線をそらしたのは私だった。

 背筋に悪寒が走るような気分でうまやを
 後にしたものだ。

 今でも、あのときのトウメイの目を
 忘れることはできない。

 馬の目ではない、強い意志と恨みを込めた怨念。

 あれは断じて馬の目でなんかあるものか。
————————————————–

トウメイは虐げられた自らをその強靭な精神力と
強い意思で振るい立たせ生きてきた証のような
エピソードである。

スポンサーリンク

1971年天皇賞(秋)と有馬記念を制し
史上初牝馬の啓衆社賞(現JRA)年度代表馬に選ばれ

競争馬としての頂点を極めたトウメイは
馬インフルエンザの渦中静かに引退していきます。

31戦(16・10・2・3)生涯一度も
5着以下はなく、生涯獲得賞金は当時の
中央競馬牝馬の歴代一位でした。

母になったトウメイは14頭の仔馬を産みましたが、
なかでも二番仔のテンメイは母と全く同じスタッフ、
同じ馬番そして勝ち方までそっくりそのまま

第78代の天皇賞馬となり、史上初めて
母子天皇賞制覇を成し遂げたのです。

トウメイは母としても立派にその使命をはたしたのです。

馬主であった近藤克夫氏は常ずね家族に
競争馬を持たないよう遺言しておりましたが

トウメイだけは死ぬまで大事に面倒を見るよう
伝えておりました。

その言葉通り近藤氏が亡くなって全ての繁殖牝馬が
売りにだされてもトウメイだけは31歳の天寿を
全うするまで近藤氏の牧場で余生を過ごすことができたのです。

ネズミ馬と蔑まれ、人間嫌いで世話係りにさえ
懐かなかった彼女がたった一人不屈の精神力で
なしとげた一流への道だったのです。

トウメイの死とともに近藤氏の牧場はなくなった
そうですが、トウメイの墓参りに訪れるファン
のため牧場の看板は掲げられ続けたそうである。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket