風よりも速く サイレンススズカ 3

 

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宝塚記念の後、短い休養をとったスズカは5連勝で毎日王冠(GⅡ芝1800m)に
挑むこととなりました。

天皇賞秋へのステップレースとして選んだこのレースはスズカが出走すると
発表されると回避する馬が相次ぎわずか9頭のレースとなりました。

しかしその9頭のなかに二頭の無敗馬が含まれていました。

外国産馬のため日本のクラッシックレースおよび天皇賞には出走権がなく、
出走できる重賞レースを選んでこのレースにでてきたのです。

グラスワンダー(後に有馬記念連覇・宝塚記念)と
エルコンドルパサー(後にジャパンカップ・フランス凱旋門賞2着)に
勝つことは真に最強馬を決める戦いになると橋田氏は思ったのです。

対するスズカは調整不足はいなめず、しかも背負う斤量も両馬に比べ重い
59キロでした。

不安の残る状態の中

スズカはいつものように先頭に立つと1000mを57秒台のハイペースで
レースを作り二頭に自分の影を踏ませることなく勝利をかざったのです。

1000mを57秒台で走る。

それも騎手に精一杯追われることもなくまったくの馬なりでマークする
空恐ろしいほどのスピードに関係者は競走馬の理想をみるおもいでした。

強敵と思われた四歳の両雄を破りこれで6連勝。

三週間後に行われる天皇賞秋に視界は良好です。

迎えた天皇賞秋(GⅠ芝2000m)、スズカはまさに究極の仕上がりを見せ、
不安材料はひとつもみあたりませんでした。

金色に輝く美しい馬体は真にサラブレッドの完成型を思わせ、
この日スズカは一番人気に支持されたのです。

天皇賞秋のレースにはひとつの不吉なジンクツがありました。

このレースは不思議なほど一番人気の馬が勝てない
「魔のレース」だというのです。

かつて昭和40年にシンザンが一番人気で勝ってから昭和59年に
ミスターシービーが勝つまで18年間一番人気の馬が勝つことは
ありませんでしたし、

ここ10年間も一番人気の馬が勝っていません。

一番人気をしょって敗れた馬の中にはオグリキャップ・メジロマックィーン・
トウカイテイオー・ライスシャワーなどといった今も語り継がれる名馬たち
が含まれます。

この日スズカに与えられた一番人気。

いやそれだけではありません。今日は11月1日スズカの入る枠は

一枠一番

11-1-1-1すべて1で彩られた舞台でこの忌まわしいジンクツは
究極のスピードを持つ最強馬によって覆されるのです。

スタートが切られました。

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先頭を進むスズカについてこられる馬はただの一頭もいません。

この日のラップタイムは1000m57秒4、距離が200m短かった毎日王冠を
さらに上回る暴走ともいえるタイムです。

しかし他の馬には狂気のタイムでもスズカにとっては普通の
通過タイムにすぎません。

二番手のサイレントハンターとは10馬身の差がついていました。

府中東京競馬場の大欅の向こうに消えていくスズカは
快調そのものにみえました。

そして再びスズカが姿を現したとき、東京競馬場に集ったすべての
人々は信じられない光景を目にするのです。

今年に入って一度も先頭を譲ったことのないスズカが次々と他馬に
抜かれていくのです。

そればかりか安全な外埒沿いにコースアウトしていく姿。

その時スズカの足はもう走るのをやめていました。

スズカの異常に下馬した武騎手は最悪の結末が脳裏をよぎりました。

駆けつけた獣医の診断を待つまでもなく、それは酷い足の
状態でした。

獣医の診断は「左手根骨粉砕骨折 予後不良」

ちょうど人間でいえば手首にあたるところの骨が粉々に
折れてしまっているのです。

その結果はせめていのちだけはと願うすべての関係者や
ファンの願いを打ち砕くものでした。

その日のうちに獣医師により安楽死の処置がほどこされ、
稀代の名馬サイレンススズカは永遠にこの世から姿を消したのです。

その夜あるじを失った馬房のなかでボロボロと涙を流す
橋田調教師の姿があり、

街角の酒場では泥酔し涙を流す武騎手の姿が
あったといいます。

それぞれの悲しい一夜がふけていきました。

快速の名馬サイレンススズカの亡骸は生まれ故郷稲原牧場で
永遠の眠りについています。

立派なお墓には今でも献花がとだえることはありません。

あの日中京競馬場(金鯱賞)を吹き抜けた一陣の風、

その風よりも速く駆け抜けた馬がいた。

その馬の名前はサイレンススズカ。

正に中京競馬場思い出のレースホースと呼ぶにふさわしい名馬中の名馬です。

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