風よりも速く サイレンススズカ 1

   2016/07/07

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愛知県豊明市にある中京競馬場、JRAの競馬が行われる中でも比較的ローカル色
の強いこの競馬場の一角に一枚のメモリアルプレートがあります。

「中京競馬場開設60周年記念 思い出のベストホース大賞」と書かれた
そのプレートにはきれいな流星をもった栗毛のサラブレッドとその蹄鉄、
そして武豊騎手の手形が飾られています。

馬の名前はサイレンススズカ。サイレンススズカとはいったいどんな
馬だったのでしょうか?

武豊騎手との絆とは?

名馬の軌跡をたどります。

サイレンススズカの生まれ故郷は北海道平取にある稲原牧場です。

稲原牧場の場主は一代でこの牧場を築きあげた稲原一美氏。

テルテンリュウ・スズカコバンという宝塚記念優勝馬を始めとして生産馬の
多くがすばらしい成績を収めている有力生産牧場のひとつでありました。

稲原氏は血統に対して強いこだわりをもった馬産家であり、このこだわりこそが
彼をしてこの牧場を有力牧場に築き上げた基本理念であったのです。

「強い馬を作るには良血の牝馬に良血の種牡馬を配合しなければならない」
こういった信念のもと日々馬産に励んでいたのでした。

彼は生産成績が上がっても牧場の規模を大きくしたりするのではなく、
一頭一頭にかける手間や費用を増やし繁殖牝馬の質を上げ、

一流の種牡馬を交配し、外部(外国も含めた)の良血牝馬を導入し
血の活性化を図るなどして、優れた血のみが牧場に残るように地道に
努力を重ねていたのでした。

そんな彼の牧場に期待の繁殖牝馬がいました。

その馬の名前はワキアといいます。

ワキアは稲原牧場と親交のある橋田調教師が稲原氏の長男とアメリカに
渡ったときに見つけてきた馬で当時まだ現役で走っていました。

1000メートルを57秒台というスピードにあふれる走り、血統も日本の競馬に
相性のよいMr.プロスペクター系のミスワキを父に持ち

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母系も後に7歳離れた半弟ベニーザディップ(父シルバーホーク)が英ダービーを征する
ことになる優秀な血統背景をもった牝馬です。

彼女を気に入った橋田氏は稲原氏にワキアの購入を進言し、稲原氏も彼女に
興味を持ち牧場に迎えることにしたのです。

こうして現役を退いたワキアは日本に輸入され初年度にはダンスオブライフの
持ち込み腹の牝馬を産みました。

2年目の年、
稲原氏は今度こそ牡馬をという希望のもとワキアに凱旋門賞馬トニービンを
交配することにしたのです。

トニービンは初年度産駒からダービー馬ウイニングチケットや
桜花賞・オークスの二冠を制したベガなどを輩出し
リーディングサイヤー候補の新進気鋭の種牡馬でした。

しかしワキアをトニービンが繋養されている社台SSに連れていったその日は
すでにトニービンの予定が埋まってしまっていて交配することができませんでした。

落胆する稲原氏に社台SSはサンデーサイレンスなら交配が可能であること
を告げたのです。

今でこそ日本の競走馬の血統を塗り替えるほどの種牡馬となったサンデーですが、
その当時はまだ初年度産駒がデビューする前でそれほどまでの人気がなく予定が
あいていたのです。

人気がないといってもサンデーはアメリカ三冠レースの二冠を制し、
アメリカ最高峰のレースであるブリーダーズカップクラッシックを勝った
スーパーホースであり社台の吉田善哉氏が二年前に輸入した注目の
新種牡馬でありました。

サンデーならということで稲原氏はこの申し出を快くうけたのでした。

翌年ワキアは栗毛に流星の牡馬を出産しました。

父は米国の80年代最強馬ともいわれるサンデーサイレンス

母は米国のレースで7勝をしたワキア。

その仔馬は小柄ではあったのですが、実に美しいサラブレッドだったといいます。

そしてその仔馬こそが後のサイレンススズカであったのです。

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