トウメイ 炎の名牝 その1

   2014/10/31

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少し古い話ですが昭和46年の天皇賞(秋)、
有馬記念を勝ったトウメイという牝馬がいました。

わずか428キロの馬体重で並みいる牡馬を相手に
真っ先にゴールを駆け抜けたこの馬は自らの過酷な
運命を不屈の闘志で切り開いてみせたまさに名牝中の名牝です。

トウメイの父はシプリアニ 母はトシマンナという血統です。

谷岡牧場の場長である谷岡増太郎氏は
当初トシマンナにトサミドリをを交配しようとしましたが

当時人気種牡馬であったため空きもなく、
たいそう小さなトシマンナをみた
トサミドリ側から早々に断られてしまいました。

思案した谷岡氏は自分の牧場の隣にある
静内種馬場に置かれていたシプリアニに目を付けます

良い筋肉の質、柔軟性をもった馬でしたが
当時はまだ無名の種牡馬でした。
(後にトウメイの他 ヒカルイマイタカツバキなど数々の名馬を送り出す)

こうしてトウメイは誕生します。

誕生当時トウメイは小柄ながらも
均整のとれた馬体、父譲りの柔軟性を持った仔馬でした。

ところが成長するにしたがい発育がおもうにまかせず
しだいにただの小柄な馬となってしまいます。

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痩せて毛艶も悪く貧相な彼女はネズミのような馬と
形容されしだいに蔑まれていきます。

それでも気性面では負けず嫌いで
気の強い面を持った馬でした。

セリでも値がつかず庭先取引で2頭の馬の
セット販売でつけられても

トウメイだけはいらないと断られる始末でした。
が、やっと清水調教師の説得で
渋々近藤克夫氏が秋のセリ市において
165万で落札し彼女は競争馬となることができたのでした。

しかし近藤氏が彼女の預託を予定していた
大井の調教師が急死し、

またもや彼女は行き場を失います。

貧相な馬体の彼女を引き受けてくれる厩舎は
どこにもなく結局購買を進めた責任をとるかたちで
清水氏が彼女を自分の厩舎に引き取ったのです。

厩舎では気性が荒く決して人に懐かなかったため
積極的に面倒を見てくれる厩務員もいず

いつも厩舎の前の空き地に一日中留め置かれ
夕方になると気づいた者に中に入れられるという
日々を送っていました。

たいした期待もされずそうした屈辱の毎日を
送っていたのです。

続く

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