メジロ牧場 白の血脈 その1

 

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1966年の秋、北野豊吉は、千葉のシンボリ牧場で
当歳馬を見ていた。

北野と言えば競馬のオールドファンなら誰もが知っている
メジロ牧場を興し、メジロの冠名の付いた沢山の名馬を
ターフに送り出した、その人である。

彼は知人に見せられた写真にあった一頭の芦毛馬を
見にきたのである。

彼は大層その芦毛の仔馬を気に入り、牧場の人が勧める
他の良血馬には一切心動かされることなく
その仔馬を購入したのであった。

後にその仔馬は競争名メジロアサマと名付けられ、
第62回天皇賞(秋 3200m)を勝利し、日本初の芦毛の
天皇賞馬となった馬である。

メジロアサマの血統は父パーソロン、母スヰートです。

パーソロンは、メジロの北野氏とシンボリの和田氏が
共同でアイルランドから購入した種牡馬であり、
早熟ながらもスタミナも兼ね備えた父系とスタミナにとみ
20世紀の名牝系が集約されたような母系を持つ種牡馬であった。

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スヰートはアメリカの名牝系であるラトロワンヌ系の
流れを組み、スタミナ豊富な血統背景をもつ繁殖牝馬です。

こうした血統も北野氏の心を動かしたのかもしれません。
(あくまで推測ですが)

生産牧場の様式として、生まれた仔馬を市場に出して
オーナー様に買って頂くマーケットブリーダーと、
生まれた仔馬を売りに出さず自分の名義で走らせ
その賞金を糧に牧場運営に当てるオーナーブリーダーという
大きく分ければ二通りがあります。

その特性から前者は早熟で早くから結果が出てオーナー様に
喜んで頂ける馬づくりをします。

それに反して後者は丈夫で長く活躍してくれ少しでも多く
牧場に貢献してくれる馬づくりを目指します。

北野氏の牧場、メジロ牧場はそんなオーナーブリーダー牧場
としての日本屈指の牧場だったのです。

日本ダービーを始めとする四歳クラシック制覇を目標とする
世間の大方の風潮に反して、北野氏は本当に強い馬は
完成された古馬達が競う天皇賞を勝つ馬だという自身の信念を
貫き、そういう馬作りに徹し、天皇賞馬のオーナーでありたい
という願いを持ち続けていた。

アサマはそういう期待をかなえてくれた彼の自慢の一頭に
なったのです。

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