メジロ牧場 白の血脈 その3

 

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北野氏の願いとは裏腹に種牡馬二年目も相変わらず
アサマの仔は生まれませんでした。

人間の産婦人科医にも診てもらうほど、一生懸命治療が
施されましたが結果は出ませんでした。

牧場関係者も半ばやけぎみにアラブの肌馬を
付けたりしたのです。

すると

そのアラブ馬が受胎したのです。

そしてその翌年今度は繁殖馬として廃用寸前に
なっているヤマノボリというサラブレッドの牝馬に
アサマを付けたところ、見事に受胎に成功したのです。

(メジロエスパーダと名付けられたこの仔馬は後
に中央で走り6戦4勝し種牡馬となっています。)

この成功で気をよくした北野氏は関係者を呼び、
シェリルにアサマを付けるように命じます。

彼らはこの無謀な賭けに動揺を隠せませんでした。

シェリルは北野氏がフランスで買い付けフランスの
重賞を勝った名牝で牧場にとって良い仔を産んでくれる
大切な繁殖牝馬なのです。

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そんな名牝に受胎する確率がほとんどないアサマをつけ、
もし空胎にでもなれば牧場の先行きをも左右する重大な
事態となります。

1977年それでも北野氏の命じるままシェリルにアサマが
つけられたのです。

するとシェリルは1978年3月アサマによく似た芦毛の牡馬を
産み落としたのです。

そしてメジロティターンと名付けられたその馬は1982年秋
東京競馬場の3200mをレコードで駆け抜け、

第86回天皇賞を制し親子二代に渡る天皇賞馬となったのです。

北野氏の執念にも似た願いが結実した瞬間でした。

メジロアサマは10年間の種牡馬生活で126頭に種付けし
生まれた子供は、僅か19頭のみでしたけれども
そのほとんどの子供が勝ち上がり、しかも天皇賞馬まで
出したのです。

まさに奇跡の馬、そしてメジロの重厚な血脈を受け継ぎ、
繋いだ唯一無二の種牡馬だったのです。

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