白い稲妻 タマモクロスの物語 1

 

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サラブレッドの生産牧場を営む者ならだれでも夢に見ること

それはいつか自分の生産した馬が重賞レースを勝利し、
そしてダービーを制覇するそんな姿をこの目で見る事であるはずです。

北海道新冠で牧場を経営する錦野昌章氏もそんな熱い夢を持った一人でした。

彼の経営する錦野牧場は昭和50年に創業したばかりのまだまだ駆け出しの
小さな牧場で、そんな大きな夢よりも牧場を軌道に乗せることに心血を注が
なければいけない頃でもありました。

サラブレッドの生産経営は正直、生産効率の良い業種ではありません。

その年生まれた当歳が無事 競争馬に育って競馬場で走るまでには
最低2~3年はかかりますし、ましてや年間7000頭ほども生まれてくる
競争馬の頂点に立ち、牧場の名声を高めてくれ、高い利益をもたらしてくれる
重賞レースの勝ち馬なんてほんのひと握りにすぎないのです。

それも資本の大きな大牧場ならいざ知らず、高い設備投資の借財を抱えた
中小牧場にとってはそんな馬が出るまで綱渡りのような経営状況が続くのです。

そのような経営状況の中、馬産に情熱をかける錦野氏が注目する馬がおりました。

その馬の名前はシービークロスといいます。

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レースでみせる後方待機、直線一気に追い上げるそのレーススタイルは
「白い稲妻」と称され、芦毛の白い馬体と相まって多くのファンを集める
存在でありました。

目黒記念・毎日王冠をレコード勝ちし、いつも最後方から矢のように伸びてくる
その瞬発力に惚れ込んだ錦野氏は「彼の資質を継いだならばきっと凄い
仔が生まれる」という信念のもとシービークロスの種牡馬入りを強く望んだのでした。

しかし錦野氏の惚れ込みようとは別に、競馬関係者の間でのシービークロスに対する
評価は「超二流馬」の域をでませんでした。

クラッシック勝利にも無縁で、血統的にも特筆すべきものもない彼を種牡馬に
押す動きは、引退の迫った時期になってもありませんでした。

それでも諦めきれない錦野氏は、自分の知人、競馬関係者等に頼み込み、
遂にシービークロスを種牡馬とするシンジケートを組むことに成功したのでした。

中小牧場にとって高額な種付け料を払って有名種牡馬を種付けすることは
経済的に難しくそんな意味でもシービークロスは錦野氏にとってまさに
打って付けの種牡馬となったのです。

種牡馬となったシービークロスの初年度種付け料はわずか10万円だったといいます。

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