疾風のレクイエム その2
1967年の夏、馬主資格をとったばかりの内村正則氏は
浦河にある岡部牧場を数人の仲間とたずねていました。
馬主として初めての持ち馬を探すべく別の牧場を訪れ
た内村氏だったが目をつけていた馬は既に買い手が付き
手に入れることはできなかった。
意気消沈したもののその牧場で岡部牧場に
「面白い」馬がいると聞き、訪ねてきたのである。
第一房龍と名付けられたその馬はひとり寂しく
馬房の中にたたずんでいた。
聞けば房龍は先天的に脚が変形しその為買い手もつかず
2歳になっても牧場に残っているというのである。
競争馬にとって生まれつきの脚部不安は致命的ということも
その時の内村氏にはよく理解出来ず、買い手がつかねば処分
されてしまうであろう
そこに居る小柄な牝馬が、唯唯かわいそうでその馬を
買うことにしたのでした。
トウカイクインと名付けられた第一房龍はこうして
内村氏の持ち馬第一号として走りはじめるのでした。
そして大方の予想を覆すように走るはずのないクインは
七歳まで走り続けるのです。
そればかりか足に負担が掛かるスピード競馬はダメで
あっても、足元の柔らかい湿った馬場では実に献身的に
走り6勝をあげたのです。
「面白い」と言われた意味がわからなかった内村氏も
競馬のことに詳しくなるうちにトウカイクインの血統の
中にその「面白い」理由をみつけるのです。
このトウカイクインこそあの悲惨な末路をたどった
ダービー馬ヒサトモが唯一残した牝馬ブリューリボンの
孫でありヒサトモの玄孫に当たる馬であったのです。
悲運の名牝の末裔が今、自分の手元で生きながらえている
その思いとトウカイクインの健気さに内村氏のこの牝系への
思い入れは決定的なものになるのです。
消え入りそうな微かな血脈、しかし偉大なる牝祖の血脈は
内村氏との縁によりその命をつなげたのでした。