白い稲妻 タマモクロスの物語 2

 

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1984年5月23日錦野牧場に一頭の仔馬が誕生しました。

それは父シービークロス母にグリーンシャトーを持つ芦毛の牡馬でありました。

錦野氏の思い入れが詰まったその仔馬を見た彼は痺れるような感動を覚えたと
言います。

彼の目の前にいる生まれたばかりの仔馬に今まで抱いたことのない手応えを
感じたのです。

そこにいる仔馬はまさに彼の思い描いたサラブレッドの理想形そのものだったのです。

「こいつは俺の最高傑作になる」

この仔馬はきっと高く売れ牧場の危機を救ってくれるに違いない。

そう思わせるに充分な仔馬であると彼は確信したのでした。

有名種牡馬の仔ではなく三流種牡馬のシービークロスの仔でこんないい
仔馬が自分の牧場から生まれたと思うと大レースを勝つ姿が自然と思い浮かび、
彼の夢は現実味を帯びてきたように思えるのです。

しかしそんな夢とは裏腹に当時錦野牧場には億を超える借金がありました。

強い馬を作るために牧場の設備を充実させればさせるほど借金は膨らみ
既に抜き差しならないところまできていました。

錦野氏はこの仔馬に牧場の全てをかけたのでした。

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この白い仔馬がデビューするまで牧場が持ちこたえてくれれば、
あとは優勝賞金の5%が生産者賞として牧場に入る。

大きいレースを勝って有名になれば牧場の知名度も上がり他の仔馬も高く売れる
そうすれば借金も返していける。

錦野氏には自信がありました。牧場を存続させるためにも仔馬を高く
売らなければならない、

いや売れるはずだと。

しかしこの目論見は見事外れることになるのです。

馬主や調教師が牧場を訪れ仔馬の品定めをする季節がきました。

錦野牧場にもそんな人たちが訪れたのですが、
彼らは皆一様にその仔馬にたいして厳しい評価を下したのです。

馬自体の良さは認めてくれても最後には仔馬の血統の話になるのです。

「父親がシービークロスでは・・・」

結局、錦野氏の望む値段で買い取ってくれる馬主は現れず、彼の夢と
牧場を賭けたその仔馬は、同じく売れ残っていた仔馬の2頭の兄姉と共に
京都で美術商を営む三野道夫氏に買い取られることになりました。

仔馬の値段は当時の相場としても安いわずか400万という値段でありました。

錦野氏の思い描いていた値段よりもゼロがひとつ足りない値段であったのです。

錦野氏の落胆は想像にかたいものでありましたが、当座の
牧場を救うためには受け入れるしか仕方のないことでもありました。

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