ヒカルイマイ  サラ系の名馬 その2

   2014/10/31

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鞆岡氏に買われたヒカルイマイは谷調教師に託されます。

当時は今と違い入厩してから鞍置訓練や調教を
積まれます。

こうして3歳の10月にデビュー戦を迎えた彼は
大方の予想に反して5馬身差を付けて快勝します。

この時馬主の鞆岡氏より生産者の中田さんに肋骨一本分の
50万円が支払われたそうです。

こうして好成績を残しながら4歳の皐月賞を迎え、
後方一気の追い込みで2着のバンライに1馬身3/4差を付け
優勝します。

次の目標はむろん日本ダービーになるわけですが、
主戦騎手の田島はダービーの騎乗法に頭を悩ませます。

今でこそダービーの出走頭数は18頭以内に制限されて
いますが、当時はもっと多く後ろからいったのでは馬群を
さばくのに手間取り馬の力を最大限に出せません。

勝つためにはダービーポジションといわれる前から10番以内の
位置取りが絶対条件と言われていました。

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しかし気性に難のあるヒカルイマイは馬ごみに入ると走るのを
やめてしまうところがあり過去凡走したレースはそんなレースでした。

そしてダービー当日はフルゲートの28頭、
スタートが切られました。

ヒカルイマイはスローペースの流れの中第三コーナーでは後方から
2頭目まで順位を下げます。

いよいよ直線、ハーバーローヤルが抜け出し逃げ込みを
図ろうとしたとき大外から一気に怒濤の勢いで他馬を
追い抜いてくる馬がいます。

そしてハーバーローヤルをもとらえ真っ先にゴールに
飛び込んだ馬はヒカルイマイでした。

ハーバーローヤルにつけた着差1馬身1/4、直線だけで
なんと22頭を交わすという前代未聞の豪快な勝ち方でした。

23歳7ヶ月で中央競馬最年少ダービージョッキーとなった
田島が勝利騎手インタビューで答えた

「僕はダービーに乗ったのじゃあない、ヒカルイマイに乗ったんだ」
という言葉は初めてのダービーに挑む重圧をヒカルイマイという
馬の力を信じて乗り切った証のように思われるそんな名言でありました。

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