トウメイ 炎の名牝 その3

   2014/10/31

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8ヶ月の長期休養を経てターフに帰ってきた
トウメイは6歳になっていました。

復帰4戦目のオープン戦を勝つと
続く4月のマイラーズカップでは前年の
菊花賞馬ダテテンリュウを退けこのレースを連覇します。

6月には前年2着に敗れた阪急杯を
58キロというトップハンデを背負いながら優勝します。

このレース内容と負担重量克服から
坂田調教師は秋の大一番への可能性を考えはじめます。

こうして陣営は10月関東遠征を決行します。

関東に渡ったトウメイは牝馬東京タイムズ杯において
59キロのトップハンデ(次に重いハンデはナスノカオリの54キロだった)
重馬場をものともせず大外を馬なりで快勝したのです。

マイルの女王と呼ばれるようになったトウメイ陣営が
次に選んだのは秋の天皇賞でした。

そしてこのレースこそが関東遠征の真の目的でありました。

しかしいかにトウメイといえども距離3200メートルの
長距離戦しかも相手は菊花賞馬アカネテンリュウ、
ダービー馬ダイシンボルガードという牡馬の一線級、

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そんな中で420キロそこそこの小柄な彼女が勝つことは
難しいだろうというのがおおかたの予想でした。

それでもスピーディワンダーを外から差し切る
危なげない勝ち方で第64代の天皇賞馬となったのです。

そして関東遠征の締めくくり有馬記念は歴史に
残る事件の中でおこなわれます。

それは

馬インフルエンザ事件です。

レース当日熱発等で取り消した馬が実に21頭、
レースは6頭立てで行われこのレースでも終始外をまわり

最後はコンチネンタルを1馬身2分の1差し切り

牝馬としてはガーネット以来史上2頭目となる
天皇賞、有馬記念連覇をなしとげたのです。

東上3戦目にして清水英次騎手は初めて
一度ムチをいれたといいます。
(トウメイはムチを使うと怒って反抗し
走らなくなるときがあるといいます)

もっとも危なげない勝ち方はムチなどいらなかったのかも
しれませんが・・

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