トウメイ 炎の名牝 その3
8ヶ月の長期休養を経てターフに帰ってきた
トウメイは6歳になっていました。
復帰4戦目のオープン戦を勝つと
続く4月のマイラーズカップでは前年の
菊花賞馬ダテテンリュウを退けこのレースを連覇します。
6月には前年2着に敗れた阪急杯を
58キロというトップハンデを背負いながら優勝します。
このレース内容と負担重量克服から
坂田調教師は秋の大一番への可能性を考えはじめます。
こうして陣営は10月関東遠征を決行します。
関東に渡ったトウメイは牝馬東京タイムズ杯において
59キロのトップハンデ(次に重いハンデはナスノカオリの54キロだった)
重馬場をものともせず大外を馬なりで快勝したのです。
マイルの女王と呼ばれるようになったトウメイ陣営が
次に選んだのは秋の天皇賞でした。
そしてこのレースこそが関東遠征の真の目的でありました。
しかしいかにトウメイといえども距離3200メートルの
長距離戦しかも相手は菊花賞馬アカネテンリュウ、
ダービー馬ダイシンボルガードという牡馬の一線級、
そんな中で420キロそこそこの小柄な彼女が勝つことは
難しいだろうというのがおおかたの予想でした。
それでもスピーディワンダーを外から差し切る
危なげない勝ち方で第64代の天皇賞馬となったのです。
そして関東遠征の締めくくり有馬記念は歴史に
残る事件の中でおこなわれます。
それは
馬インフルエンザ事件です。
レース当日熱発等で取り消した馬が実に21頭、
レースは6頭立てで行われこのレースでも終始外をまわり
最後はコンチネンタルを1馬身2分の1差し切り
牝馬としてはガーネット以来史上2頭目となる
天皇賞、有馬記念連覇をなしとげたのです。
東上3戦目にして清水英次騎手は初めて
一度ムチをいれたといいます。
(トウメイはムチを使うと怒って反抗し
走らなくなるときがあるといいます)
もっとも危なげない勝ち方はムチなどいらなかったのかも
しれませんが・・