マキノプリテンダー 2
スポンサーリンク
こうしてマキノプリテンダーは東大農学部生産馬として
二頭目の皐月賞出走にこぎつけます。
ちょうどこの日が彼の誕生日でもあり、東大学生や
大学関係者がたくさん応援に詰めかけていました。
スタートが切られやがて向こう正面に差し掛かったとき、
馬群の中で一頭転倒。
馬群が去ったあと後に残されたのは前脚に重症を負った
マキノプリテンダーでした。
右中手骨開放骨折、
スポンサーリンク
重度の骨折で予後不良、安楽死の処置がほどこされました。
愛馬の快走と無事を祈っていた関係者達の動揺は
察してあまりあるものがあります。
小さな身体で、自分の能力には少し重すぎる皐月賞という
舞台を、それでも渾身の走りで戦った末路は最悪の
結果になってしまいました。
多分、小さな研究牧場育ちの彼は学生さん達をはじめとする
スタッフの愛情を目一杯受けていたのでしょう。
レースが続く中山の馬場を横切って彼のもとに走り寄る
中年の男性の姿があったそうです。
(EPAさんのHPを参考にさせていただきました)
僅か三歳の誕生日が、悲しいマキノプリテンダーの最後の
誕生日であり命日になってしまったのです。