ステイゴールド 3

 

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目黒記念でようやく重賞をとったものの

その年5戦したステイゴールドは相変わらず
低迷していました。

しかし人気の方はDreamHurses2000という
名馬選定企画において

G1未勝利馬の中で最上位の34位に選ばれています。

年が明けて2度目の重賞を勝った彼は僚馬の
トゥザヴィクトリーとともに

ドバイシーマクラッシック(G2)という
海外レースに遠征し人気薄ながら

ファンタスティックライト(前年のワールドシリーズ王者)
などを破り優勝します。

サンデーサイレンス産駒にとって

国際重賞競争初制覇であり、ステイゴールドにとっても
最初の大きな仕事をやってのけたのでした。

海外での大仕事を終えて帰国した彼でしたが、

国内のレースでは気の悪さが出て失格や凡走
を繰り返し、

国内最終戦となったジャパンカップでは左にささる
悪癖を矯正するべく、

ハミを替えたり左眼だけブリンカーを装着するなど、

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真っ直ぐ走ることには成功するも優勝することはできず
国内での戦いを終えることとなってしまった。

ところがどっこいステイゴールドはまだ死んでいなかった。

彼にとって50戦目となる引退レースは香港に設定
されていたのである。

香港ヴァーズ(G1)これが彼に残された唯一の
G1制覇のチャンスでした。

このレースで彼はエクラール以下を抑え見事に
G1初制覇を果たすとともに

日本の厩舎に所属する日本産馬初めての
国外国際G1レース初制覇の快挙となったのです。

まさに絵に書いたようなドラマチックな幕引きに

池江調教師は

「お前、よくわからん奴やったけどやる時はやるなあ」と
その労をねぎらったそうである。

この勝利を評価され当年国内においてJRA賞特別賞を
授与されるとともに、

生涯G1出走回数20

重賞連続出走回数36は共にJRA記録となった。

こうして2002年1月ファンに惜しまれつつ
引退したのである。

当初引退式の予定はなかったもののファンの強い希望と
JRAの要請を受け京都競馬場において盛大に
行われたそうである。

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